論語 先進 第十一 十六

論語 先進 第十一 十六

 

原文

子貢問、師與商也孰賢。子曰、師也過、商也不及。曰、然則師愈與。子曰、過猶不及。

 

 

書き下し文

子貢(しこう)問(と)う、師(し)と商(しょう)と孰(いず)れか賢(まさ)れる。

子(し)曰(い)わく、師(し)や過(す)ぎたり、商(しょう)や及(およ)ばず。

曰(い)わく、然(しか)らば則(すなわ)ち師(し)愈(まさ)れるか。

子(し)曰(い)わく、過(す)ぎたるは猶(な)お及(およ)ばざるがごとし。

 

 

口語訳

子貢(しこう)が先生に、「師(し)(子張の名)と商(しょう)(子夏の名)とどちらが優れていますか。」とお尋ねした。

先生は、こうお答えなされた。「師(し)はゆき過ぎているな、商(しょう)は足りていないな。」

子貢が、「それならば、(ゆき過ぎている)師の方が優れているということですか。」と尋ねた。

しかし先生は、こう教えられた。

「ゆき過ぎは、(頃合いを失っているという点では、)足りていないのと同じようなものだ。」と。

 

 

温故知新

歴史・故事・古典に学ぶ

歴史、故事、古典を学ぶ意義

 

ここでは、歴史故事、そして古典を題材に、本当に教養となる学びを提供していきます。

 

「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる。」

 

これは、別に、すぐに役に立つものを批判しているわけではありません。

 

すぐ役に立つものも必要でしょう。

勿論、すぐに役に立たない、後々役に立つものも必要でしょう。

時代時代に求められるものは、すべては時々刻々、その時々の状況に応じて変化しています

 

これが役に立つと、簡単に言い切れるような教養は、決して「真の教養」では、ありません。

 

重要なことは

状況に応じて、自ら身につけた教養の中から、臨機応変、自由自在に、必要な知識や理論を引き出せる

ことではないでしょうか。

 

 

 

歴史・古典に限らず、何故学ぶのか」という問いは、突き詰めて考えると、非常に難しい問題です。

 

 

実生活に役に立つものだけ学ぶべきだというなら、私たちの学びは、非常に貧弱なものとなってしまうでしょう。

 

何千年何百年前から、数多の研究者達の多大な研究や努力によって、大切に伝えられてきた歴史故事古典は、一見すぐ役に立つものに見えないかもしれません。

 

しかし深く学び、自分で思考しながら身につけた歴史や故事、古典は、学んだ者の血となり肉となり、人格を根本から形作る「真の教養」となるでしょう。

言葉には表せない、人としての深が増すことでしょう。

 

 

歴史や古典は、薄っぺらい啓発書とは訳が違います。

何千年何百年と大切に読み継がれてきた真の人類の遺産なのです。

 

 

ここではできるだけ原典に直接触れ、原典の素朴な意味を、そのまま受っとっていただけるような教養の古典」をお送りいたします。